今までの経験で、不条理なことが起きたりすることがある。少々文章が変だが、そのような体験はある人は一定割合でいるということを言っている、に過ぎない。

不条理の定義すら、状況説明できなければ、その体験者の主観と、他者に見なされる状況になるのは一般的もしくは平凡な流れだ。

しかし、どや顔やあくの強いあたかも、不条理行為者が正当であるという既成事実化の工作の一環という面もある工作もある。

その一般的平凡な価値判断は、安直で何者かに操作され続けた結果であるようで、あまり気持ちのいいものでもないように感じる人もいるだろうし、そのような感性はマイナーだが本質を見ていると思う。状況説明できないほど厄介なのか主張者が身勝手に過ぎるものかの見極めも必要になる。


しかし、黙っているが不条理理不尽が起きていることを軽視するつもりではない。

本稿の主題は、それ相応に主張しているにもかかわらず、やたらに、工作を弄し不条理行為に割を食った人に対し、沈黙を劇場型に強いる心理工作というものについての手段と心理的意図について考察してみたい。

第一に、利得というものを使ってくることは容易に想像がつく。 たまにマスメディアで詐欺の被害者の訴えを流すことがある。大体の視聴者読者としては、軽率、欲深、劣等感の塊、ギャンブル依存症などと合点してしまうのではないか。 

利害や心情的に近隣者がこのような状況に陥るとき、不快や悲痛に陥る人がこのような心理反応を持つ傾向は強いだろう。この項目についての補足として、人間は親近感を持つ対象に、いわゆる愛情を持つ。ところが、これが強いほど、「排他的な心性」が強くなるのだという。 京都大学稲盛財団が主催したシンポジウムで、カリフォルニア工科大の下條信輔教授が、八丈島の体験をもとにもしくは、八丈島の体験のみで発言されている。 カラスのような知能の高い動物の生殖期間における、過剰に感ずるほどの周囲への敵視というものでも共通する。

 

何も、カラスと人間であっても、共通するものはあっても不思議ではない。科学的な詳細は研究者が専ら探求してほしいというのが社会的要請でもあろう。

 

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【第1回京都こころ会議シンポジウム】⑨総合討論(中沢新一、河合俊雄、広井良典、下條信輔、山極壽一) - YouTube